1-2 「着想」と「資料」 ー『Evernote×情報カード知的生産』第1章 知的生産とはー

「着想」と「資料」

「知的生産の技術」では、知的生産について、またこのようにも述べられています。

知的生産とは、知的情報の生産であるといった。既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、そこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである。

知的生産は、「何かしら考えたことを、人にわかる形で提出する」ことなのですが、そのスタートは「既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとに」していきます。既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとに、何かしら考え、あたらしい情報をつくりだし、人にわかる形で提出する。よりくわしく知的生産を定めると、こんな感じになるでしょうか。

つまりは、ある情報に自分の考えたことを組み合わせることが、知的生産では必要になってくるということです。

「既存の、あるいは新規の、さまざまな情報」から、あたらしい情報をつくりだしていく。つまりは、知的生産では情報を扱う、ということになります。そこで本書では、情報を「着想」と「資料」という言葉を使って、2つに分けてとらえていきます。

「着想」とは、そのとき自分が考えたこと、得たアイデア、思いついたこと。「資料」は、知的生産の材料となるもの。つまり、「既存の、あるいは新規の、さまざまな情報」、すでに紙などにまとめられている情報、ととらえておきます。こう分けて考えると、「知的生産」とは、「資料」どうしを組み合わせたり、「着想」を加えたりしつつ、一つの形に仕上げる作業、となります。

「着想」は、そのとき思いついたこと、考えたこと。自分の脳みそから出てきたもので、実体がない。思いついたそのときには頭の中にあるものの、物としては存在していない。いつ消えるかわからない。すぐにどこかへ行ってしまう儚いものです。

一方で「資料」は、すでに紙などに書かれ、まとめられている情報なので、実体があります。紙として存在しています。「着想」のように一瞬で消え去る、ということはありません。しばらくはそこにいてくれます。

実体があるかないか。この一点で、「着想」と「資料」は決定的に違います。

「あれ、さっきなんか思いついたけど、なんやったっけ?」となることはありませんか?「着想」がどこかへ消え去ってしまった瞬間です。消え去った「着想」は、まず戻ってきてくれることはありません。「着想」は、しっかりと捕まえてやらなければ。頭の中だけにとどめるのではなく、「資料」という消えない形に変換しなければ。