1-5 「自分資料」と「他者資料」 ー『Evernote×情報カード知的生産』第1章 知的生産とはー

「自分資料」と「他者資料」

「着想」をメモし、「資料」に変換する大切さについて考えてきました。自分が考えたことを書きとめておいたものは、自分から出てきた、自分発の「資料」となります。当たり前のことですが、自分が考えたことのメモのみが「資料」なわけではありません。雑誌で気になった部分はきりぬいてとっておくかもしれませんし、本を読んでいてためになったところの引用メモを書くかもしれません。誰かの話で感銘を受けた部分をささっとメモることも、ネット上で参考になったものを保存しておくこともあるでしょう。「着想」を書きとめたものが”自分発”の「資料」であるのに対して、こういったものたちは”他者発”の「資料」になります。この二つをわけておくため、”自分発”の「資料」を「自分資料」、”他者発”の「資料」を「他者資料」と、わかりやすく名付けておくことにします。

「自分資料」と「他者資料」の二つの「資料」をためこみ、知的生産をおこなっていくわけですが、ためた「資料」は、もちろん見返して参照するためにとっておくわけです。では、どちらの「資料」を見返す機会が多くなるでしょうか。どちらの「資料」のほうが、あとあと輝きをみせてくるでしょうか。

先に、「話を聞いて内容をメモするとかではなく、ふと頭をよぎったこと、思いついたこと、何か話していたり読んだりしていて、自分なりに考えたこと」をメモしてみてください、と言いました。これが答えです。自分の考えたことをメモする、という行為は、「自分資料」を増やす行為です。「自分資料」のほうが、あとあと見返したときのおもしろく、真新しく感じます。自分が考えたことを見返して、真新しく感じるだなんて変に思うかもしれませんが、実際そうなのです。

さまざまな情報を「資料」として残すようになった当初は、「資料」全体に対する量は、「自分資料」よりも「他者資料」のほうを多く保存していました。Web等で参考になった情報を、次々に保存し、ためこんでいました。でも、不思議と、「資料」を見返したときに、「おっ!」と、「ほほぉう」と心が動くのは、そのときどきに感じたことや、考えたことのメモ。つまり、「自分資料」のほうでした。その事実を知って以来、ぐんと「自分資料」の割合が増えました。

「着想」を書き記し、「自分資料」として残す。また、本やネット、他の人との会話などから参考になった、感銘を受けたものも、メモったりクリップしておき、「他者資料」として保管する。「資料」をためておく。

「資料」として残すためには、情報をどこかに保管しなくてはなりません。その、「資料」の受け皿としてとても便利な存在が、何を隠そうEvernoteなのです。もはや、ぼくにとってのEvernoteは、知的生産のための「資料」の保管庫として、なくてはならない存在となりました。